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※新羅と臨也
僕には一人親友がいることは周知の事実なんだけれども、それを目の前で口にすると彼は何とも言えない顔をする。
「嬉しくないのかい」と尋ねても、首を軽く振って否定とも肯定ともとれない微妙な笑みを見せる。いつしかきっとこれは照れているんだろうときっぱりと(勝手に)判断してしまってからはさしてそれについて気にすることは無くなった。口で何を言おうが彼がどんな顔をしようが、僕らが「親友」という他とは隔たった関係にあることは変わらないのだから、僕はかまわないと思うのだ。
彼は人間が好きだという。それどころか愛しているとまで言う。親友だとは言ったが僕にはその感覚がわからない。おそらく私の考えている愛とは少し違ったものだろうからそれについては永遠に彼と理解しあえることはないと思う。
彼はよく僕の家にやってきて(おおよそは「けがをした」だとか「気になることがある」だなんてわざわざ理由を作って来る)コーヒーを一杯飲んで帰るのだが、そのうちの三回に一回はその話題に行き当たる。
「人間を愛するのは楽しいよ。だって人間は常に変化するから、一時として同じ瞬間に出会うことはない。普遍的に変わり続けるものに飽きることなんてあり得ないだろう?」
「それでも人間は人間だよ。君が人間であるからには、その人間の清濁全てを飲み込むことは不可能なんじゃないかと私は思うね。」
「さぁそれはどうだろう。これは俺が人間だから言えることなんだけれども、人間ってのは無限の可能性を秘めているんだよ。」
終わりのない、また結論の無い会話だ。この話題になったとき、僕はいつだってメビウスの輪の中に放り込まれたような気分になるのだ。どこまで行っても終わりがないどころか起点も終点も変換点さえない。いつまでも繰り返すこの会話が無益だとおそらく彼自身も気付いている。
ところでこの話題が出た後に、ーーおそらく自分自身気付いていないだろうが、彼は必ずある人物についてのことに話を切り替える。それはつい口から出てしまうようで、その話が終わった後いつも彼が少し不可解そうな顔をしているのを見る。
彼が言うに、僕のよく知るその男は人間ではないらしい。
「化け物だよあいつは。力だとかそういうものを抜きにしたって人間とはかけ離れたものだ。あいつが人間だとしたら俺はこの世で生きる意味を失うね。」
嫌いだと吐き捨てるように口にする彼の表情はひどく人間臭い。(愛してるなんて胡散臭い言葉を吐いている時より僕はこっちの方がずっと好きだ。)
「あいつが存在しているだけで俺が否定されるみたいな気分になるんだ。最悪だよ、早く死ねばいいのに。」
「なら、構わなければいいのに。」
「そうもいかないだろう。俺が手を下さないと、あいついつまでも生きるよきっと。ああ苛つく。あいつのことを考えると夜も眠れない。」
コーヒーカップを彼の長い人差し指がたたく。眉根を寄せる彼を見ながら僕も黙ってコーヒーを啜る。彼はきっと知らないだろう。僕と彼の関係と、彼とあの男の関係が同じ名称で括れるってことを。
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あいつのことを「嫌い」だと言い始めてからずっと俺はある一つの不文律に縛られているような気がする。
確かに俺はあいつのことが嫌いで、自らの手で殺してやりたいと思うぐらいには憎い。死んでしまえと幾度と無く願ってきたし信じちゃいない神に頼ってみたこともある。俺はあいつのことが嫌いで、存在を認めるのすら不愉快だ。
しかしあいつ自身はどうなのだろう。俺のことをどう思っているのだろうか。
考えてみれば、俺はあいつに「殺す」と言われたことはあるが「嫌い」だと言われたことはない。「死ね」という言葉もよくよく考えればないかもしれない。それを他人に口にすればそんなものは自分勝手な思いこみだと笑われてしまうかもしれないが、俺の記憶が正しい限り(俺は自分の脳が他の人間より幾分か優秀であると自負している)それらの言葉が俺にたいして放たれたことは無いのだ。
不文律はこれのせいだ。
俺はあいつが嫌いなのに、あいつは俺のことをどうとも言わない。はっきりと「嫌いだ」と言ってくれれば俺だって嫌い嫌いであいつを殺しにかかるのに、その言葉一つ無いだけでどうしてだかナイフを握る手が急所をはずす。
「もしかするとあいつは俺を嫌いなんかじゃないかもしれない。」
そんな考えが頭の隅に引っかかったままもうかれこれ十年近くあいつと付き合っている。
勘違いだと切り捨ててしまえば楽になるのは目に見えているのに。こういうときに俺も単なる一人の平々凡々な人間であったと思い出す。これだけの年数殺し合って来た相手を好きになれるわけがないのにと頭ではわかっていても、あきらめの悪い感情が俺の体中をのたうち回る。俺があいつを嫌いなんだからあいつも俺も嫌いだろう、いいやでもあいつはそんなこと言っちゃいないし確証も無い、しかしそれにだって証拠は無いーーこうして堂々巡りがいつまでも続いていつまでも抜け出せない。
無益だといい加減に捨ててしまえばいいのに。ため息をついても胸にわだかまった煙を吐き出すことは出来なかった。
(割り切れない。)
心中の思いはいつまでもくすぶっているだろう。
※A/PH 朝菊
部屋の片隅にギターがあることに気付いて、私がそれをぼんやりと見つめていると、ドアを開けて入ってきた彼は少し照れくさそうな顔をして「あんまり得意ってわけじゃないんだけどな」とはにかんでいた。そのレスポールは随分と年季が入っている割にボディはピカピカで、弦の一本でさえもさび付いておらずよく手入れされているのがわかった。よくオイルの塗り込まれたネックはところどころすり減っていて彼の指の跡が見えるかのようだ。もうすっかり屋号も消えたヘッドの裏側に荒っぽく削り込まれた彼の名前を見つけて一人微笑む。
「弾いてくれないんですか」と私が言うと、彼はよせと口で言いながらも手に持ったティーポットとカップをテーブルに静かに置いて、楽器の方へと近付く。(彼のこういうところが私は嫌いではない。)
私は自分の座っていた椅子を彼に譲り、ソファの方へと移動した。彼は側の棚から慣れた手つきでピックを取り出すと確かめるようにそれを何度か握り直してから、楽器を持って椅子に腰掛けた。
軽くストロークする。コードはCだった。
次に軽く調子をつけてアルペジオ。音の端々が心地良い。
(ここで上手いなんてうっかり口にしてしまうと彼は照れて続きを弾いてくれなくなるだろうから私はじっと黙り込んでいた。)
コードをいくつかたどり、そうしているうちに徐々に音が張りつめていく。彼の指先が弦の上を滑るように聞いたことのあるフレーズを紡ぐ。
「これ、」
「好きだって言ってたろ。」
顔を上げた私にいたずらっぽく彼は笑いかける。エメラルドが柔らかい光を放つのにはっとした。
彼の国の音楽は荒っぽく、そしてある種退廃的だ。普段は紳士的なこの人が時折見せる表情とそれは非常に似通っている。そんな時の彼の声は低く掠れていて、私をぞくりとさせる。まるで歌声に熱狂する人々と同じように私もただの一人の人間みたいに彼の声に酔ってしまうのだ。
メロディに合わせて、彼が囁くように歌う。低く掠れた声で歌われるのは彼の国が誇るロックバンドの代表的なヒット曲だった。皮肉っぽいその歌詞の中にふと甘い響きを見つけて、今度は私が目を伏せる番だった。
※帝人(と臨也)
午後の光が目を刺して、僕は瞼を半分下ろす。わずかな温もりが薄い皮膚の上を滑っていく。目尻に滲んだ液体を指先で拭って再び目を開くとやはりそこにはさっきと同じ光景、代わり映えのない学校風景が広がっていた。
僕の席は窓際の後ろから二番目。昼過ぎになるとこの席には穏やかな風と午後の日差しを十分に受けることが出来る。今の時間の日の光は黄色くて、時折目を開けていられないくらい眩しい。それを理由にこじつけてたまにすっかり目を閉じて授業から逃げ出したりもするが、僕がこの光を好きなのはそれだけが理由じゃない。
あくびをかみ殺しながら視線を黒板の方へやると、いつの間にか文字で埋め尽くされていた。ああしまった、と思ったものの僕は焦ることもなく、またぼんやりと窓の向こうに視線を戻した。どうせ写したところで前の授業と似たような内容だし、所詮教科書をなぞっただけの内容だろう。同じことを何度も何度も続けることがすなわち日常なんだと、いつだったかある人に聞いたことがある。
「人間って言うのは希薄だろう。みんなみんな同じ生物なのに自分やアイデンティティなんて言葉で自分自身を一つの隔絶した、特別な存在だと思いこもうとしている。そんなこと出来やしないのに。同じことを続けていくことで自分を濃くしようとするのが逆効果だなんて気付きもしていない。馬鹿だよねえ、日常からの脱却を望んでいるつもりが泥沼に陥っているんだから。でもね俺はそれが愛しくてたまらないんだ。」
男の笑顔はひどく胡散臭かった。しかしそれでもその顔は余りに喜びに満ちていて、僕には眩しかった。それはかつて僕が唯一無二の友人に対して抱いたものと非常に似通っていた。僕のいる場所からは手も届かない彼らの非日常がうらやましい。
(日常を楽しめなんて彼らは言うけども、僕はここじゃないどこかへ行きたい。)
午後の光は穏やかだったが、弱くはなかった。
「静雄、お前顔色悪くないか。」
俺がそう尋ねると、男は少し首を傾けて大丈夫だと言った。その返答では自らの状況が悪いことを示すだけだと思ったが、口には出さなかった。そうされることをこいつは望んでいないだろうし、俺もそこまで追求してやるつもりはさらさらなかったからだ。
ワゴンカーに寄りかかって立っている俺の隣で静雄はしゃがみ込んでいる。動くのも億劫らしく、指で挟んだ煙草のフィルターがじわじわと短くなっているのにももはや関心はないようだった。いつもは俺よりも高い位置にある金髪が、今は俺の膝あたりでうなだれている。「昨日から何も食べていない」と呟いた時の彼の目がひどく疲れていて、こいつも苦労してるんだなと俺は同窓生の日常を想ったのだった。毎日毎日働いて、かと思えば毎日のように走り回って喧嘩をしている。彼の日常の中で食事がどれだけ大事な役割を担っていて、またそれを抜くことがどれだけの苦痛になるか想像しなくてもわかった。深く息を吐いた静雄の横顔に影が落ちる。この様子だと昨日からと言わず、ずっとろくに物を食べていなかったのではないだろうか。
隣から腹の虫が鳴く声が聞こえて、ちらりと目線をやると静雄は頭を抱えていた。給料日前にはいつもこうなのかと聞けば、いつもはこうじゃないと彼は力無く頭を振った。
「今月は買いてえ物があったから。」
「飯我慢してまで?」
「ああ、給料三ヶ月分削ってまで欲しかった物があって。」
言わんとすることがわかってしまった俺は言葉を失って、静雄を見つめる。少し痩せただろうか。もしかすると俺がこいつに持っていたイメージのせいかもしれない。何よりも強くて、まるで百獣の王みたいに大きくて、人間離れしている。俺はずっとこいつにそんなイメージを持っていた。それが急にこんなにも人間くさい表情をして笑うのだ。驚かないわけがない。
不意に頭に一人の男が浮かんだ。静雄の天敵で、それでいて彼にとって無くてはならない唯一の存在ともいえる男だ。静雄の目をのぞき込むと奥にはっきりとした意志が見えた。どうやら本気らしいことを悟り、俺は驚くことすらなくただ納得したのだった。
「飯おごってやろうか」と俺が言っても、静雄は首を縦には振らない。
「今晩臨也のとこに行くんだ。」
彼のズボンのポケットが膨らんでいることに気付いて、どうしてだか俺も笑った。
