カテゴリー「pdr」の記事一覧
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緩い波がやってくる。ゆっくりと沈んで、ふとした瞬間に浮上して。
荒北は少し口を開けて流されるがままに欠伸をした。
蛍光灯は煌々と灯されたままである。瞬きをする合間に光が滲んで瞼に焼き付く。
(ちょっとだけ)
仮眠だから、とそう自分の中で言い訳して彼は目を瞑った。片手には読みかけの文庫本がある。今日、福富に付いて図書室へ行ったときに借りてきたものだ。本は嫌いではないが、しかし普段活字になんて免疫がないものだから数ページもしないうちに閉じることになってしまった。
考えてみれば本を読むのなんて久しぶりのことだった。荒北だって高校生だから、教科書を読んだりするのは日常のことだが、そうではなくこうしてまともに自分から文字と向き合うのはいつぶりのことだろうか。
ふと温もりを感じて目を開く。見れば、身体の上にいつの間にか布団が掛けられているのが見えた。手に持っていたはずの本は枕の横に置かれている。荒北は薄らと目を開いたまま、掠れた声でありがとうと呟いた。
「十五分ぐらいしたら、起こして」
「構わない。今日はそこで寝ろ」
金髪が見える。荒北が寝入る前と全く同じ姿勢で、福富はベッドを背もたれにして本を読んでいた。荒北がごろりと寝返りを打って彼の方へと顔を寄せると、まるで猫か何かにするように福富は荒北の髪を撫でた。
「何読んでんの」
荒北が寝ぼけたような声でそう尋ねる。もうほとんど眠りに落ちかけている、芯の無い声だ。福富が一度本を閉じてそのタイトルを読み上げてやっても、荒北はなんだか曖昧にああ聞いたことあるナァみたいな心にも無さそうな台詞を口にしただけだった。
じりじりとシーツの上を移動して、荒北は福富の背中にすり寄る。鼻先を肩胛骨の辺りに埋めるものだから福富にとってはくすぐったくて仕方なかったのだが荒北はそこで落ち着いてしまったらしい。
「読書はもういいのか」
福富がそう尋ねてみても荒北は小さくうめき声をあげただけだった。どうやら福富の勧めた本よりも、荒北は福富自身の方がお気に入りのようだ。荒北が彼の背後で小さく欠伸をした。釣られて欠伸をして、福富は蛍光灯の眩しさに瞬きを一つする。
荒北は少し口を開けて流されるがままに欠伸をした。
蛍光灯は煌々と灯されたままである。瞬きをする合間に光が滲んで瞼に焼き付く。
(ちょっとだけ)
仮眠だから、とそう自分の中で言い訳して彼は目を瞑った。片手には読みかけの文庫本がある。今日、福富に付いて図書室へ行ったときに借りてきたものだ。本は嫌いではないが、しかし普段活字になんて免疫がないものだから数ページもしないうちに閉じることになってしまった。
考えてみれば本を読むのなんて久しぶりのことだった。荒北だって高校生だから、教科書を読んだりするのは日常のことだが、そうではなくこうしてまともに自分から文字と向き合うのはいつぶりのことだろうか。
ふと温もりを感じて目を開く。見れば、身体の上にいつの間にか布団が掛けられているのが見えた。手に持っていたはずの本は枕の横に置かれている。荒北は薄らと目を開いたまま、掠れた声でありがとうと呟いた。
「十五分ぐらいしたら、起こして」
「構わない。今日はそこで寝ろ」
金髪が見える。荒北が寝入る前と全く同じ姿勢で、福富はベッドを背もたれにして本を読んでいた。荒北がごろりと寝返りを打って彼の方へと顔を寄せると、まるで猫か何かにするように福富は荒北の髪を撫でた。
「何読んでんの」
荒北が寝ぼけたような声でそう尋ねる。もうほとんど眠りに落ちかけている、芯の無い声だ。福富が一度本を閉じてそのタイトルを読み上げてやっても、荒北はなんだか曖昧にああ聞いたことあるナァみたいな心にも無さそうな台詞を口にしただけだった。
じりじりとシーツの上を移動して、荒北は福富の背中にすり寄る。鼻先を肩胛骨の辺りに埋めるものだから福富にとってはくすぐったくて仕方なかったのだが荒北はそこで落ち着いてしまったらしい。
「読書はもういいのか」
福富がそう尋ねてみても荒北は小さくうめき声をあげただけだった。どうやら福富の勧めた本よりも、荒北は福富自身の方がお気に入りのようだ。荒北が彼の背後で小さく欠伸をした。釣られて欠伸をして、福富は蛍光灯の眩しさに瞬きを一つする。
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あんまり器用な方ではないから。そう福富が言ったのに思わず荒北は吹き出した。
「それにしたってお前ヨォ、」
「中学の時は学ランだったんだ」
「理由になんねえよそんなもん」
本当に自転車以外のことはからっきしなんだな、と荒北は非常に愉快そうに笑っている。隣にいる福富は相も変わらず鉄仮面のままだが、しかしどこかしらむっとしたような様子である。
練習が終わった直後の倦怠を吹き飛ばすかのような笑い声。荒北のこんな声を聞くのは初めてだったからどこか新鮮な思いを抱く一方福富がそれに対して全面的に良い感情を持てないのは、荒北が自分の手元を見てその声を上げているからだった。
「おめー今までどうやって登校してきたんだよ」
荒北はまだ口の端に笑いを残したままである。普段、あの特徴的な髪型にセットされている黒髪は今は下ろされて、長い前髪が彼の目を半ば隠していた。ちらちらとしか覗かないせいで一層その目が気になってしまって、福富はどうにも落ち着かない気持ちになるがナァ、という荒北の呼び掛けではっとして、ようやく口を開いた。
「・・・新開が」
「新開ィ?」
「スプリンターだ。あの赤毛の、」
「知ってらァ、んなこと。なァにお前、毎朝そいつにネクタイ結んでもらってんのォ?」
「いや、特に咎められなければ結んでいない」
「よくそれでギャーギャー言われねえな」
「お前とは素行が違うからな」
「ケッ、言うじゃねえの」
ひどく口が悪い。しかしながら顔は笑っているからそう悪く聞こえない。面白がられているらしいと福富は思って、また少しだけ眉を顰めた。手元で絡まってしまったネクタイを解きながら福富は次にどう言えばこの男に笑われないかと考えてみたが、ちらりと横目に見た荒北のにんまりとした、少し人の悪そうな笑顔が嫌いではないだなんてことを思ってしまったから、何も言えなくなってしまった。
荒北の頬にはかすり傷が見える。今日も転んだのだと、不愉快そうに、しかしどこか満足げに言っていたことを思い出す。
「おい、鉄仮面」
しばらくして荒北がそう呼びかける。福富が顔を上げるその前に、彼の骨張った長い指がひょいと手の中にあったネクタイを取り上げていった。
「俺が結んでやるよ」
「お前が?」
「ああ。お前が自分で結べるようになるまでなァ」
その代わり、と荒北は続ける。
「俺がお前より速くなるまで、首洗って待っとけよ」
「それにしたってお前ヨォ、」
「中学の時は学ランだったんだ」
「理由になんねえよそんなもん」
本当に自転車以外のことはからっきしなんだな、と荒北は非常に愉快そうに笑っている。隣にいる福富は相も変わらず鉄仮面のままだが、しかしどこかしらむっとしたような様子である。
練習が終わった直後の倦怠を吹き飛ばすかのような笑い声。荒北のこんな声を聞くのは初めてだったからどこか新鮮な思いを抱く一方福富がそれに対して全面的に良い感情を持てないのは、荒北が自分の手元を見てその声を上げているからだった。
「おめー今までどうやって登校してきたんだよ」
荒北はまだ口の端に笑いを残したままである。普段、あの特徴的な髪型にセットされている黒髪は今は下ろされて、長い前髪が彼の目を半ば隠していた。ちらちらとしか覗かないせいで一層その目が気になってしまって、福富はどうにも落ち着かない気持ちになるがナァ、という荒北の呼び掛けではっとして、ようやく口を開いた。
「・・・新開が」
「新開ィ?」
「スプリンターだ。あの赤毛の、」
「知ってらァ、んなこと。なァにお前、毎朝そいつにネクタイ結んでもらってんのォ?」
「いや、特に咎められなければ結んでいない」
「よくそれでギャーギャー言われねえな」
「お前とは素行が違うからな」
「ケッ、言うじゃねえの」
ひどく口が悪い。しかしながら顔は笑っているからそう悪く聞こえない。面白がられているらしいと福富は思って、また少しだけ眉を顰めた。手元で絡まってしまったネクタイを解きながら福富は次にどう言えばこの男に笑われないかと考えてみたが、ちらりと横目に見た荒北のにんまりとした、少し人の悪そうな笑顔が嫌いではないだなんてことを思ってしまったから、何も言えなくなってしまった。
荒北の頬にはかすり傷が見える。今日も転んだのだと、不愉快そうに、しかしどこか満足げに言っていたことを思い出す。
「おい、鉄仮面」
しばらくして荒北がそう呼びかける。福富が顔を上げるその前に、彼の骨張った長い指がひょいと手の中にあったネクタイを取り上げていった。
「俺が結んでやるよ」
「お前が?」
「ああ。お前が自分で結べるようになるまでなァ」
その代わり、と荒北は続ける。
「俺がお前より速くなるまで、首洗って待っとけよ」
「どうやってあの髪型を作るんだ。」
そう言って男が俺の手元を覗き込んでくる。無表情のくせに目には好奇心が一杯に浮かんでいて、あんまりにそれがただただ純粋なもんだから俺は振り払うことも出来ずに少しばかり眉を顰めることしかできなかった。
「荒北。」
それなりに広い洗面所の中で、わざわざ一つの鏡の前に男二人で立っている様子は周りからどう見えるだろうか。幸いにもまだ朝は早いから俺たち以外には誰もいないが、しかしながらそれでも距離が近いことには変わりない。ちょっと離れろ、と俺が言っても福富は早くしろと期待を込めた目でこちらを見るばかりで聞いちゃいない。
俺は長く伸ばした前髪をざっと掻き上げながら一つ溜息を吐く。全く面倒な奴に捕まったもんだ。今俺の隣にいる男。名前を福富という、なんともおめでたいような字面の男と出会って以来俺はこいつに調子を狂わせ続けられている。ロードレーサーなんていう、ぱっと見本当にこんなもんで走れんのかって思えるような自転車にうっかりはまってしまったこともそうだし、それに入る気も無かった部活なんてものに参加することになったのもそうだ。今だって、人がわざわざ誰とも会わないように時間をずらして起きてきたにも関わらずこいつはこうして俺の側にいる。そうして何を言うかと思えば「いつものあの髪型にしないのか」なんてことを興味津々で言うもんだからわけがわからない。
調子が狂う。こいつを振り払えないのも本調子じゃないからだ。まだ出会って間もないこいつに振り回されているなんて考えたくなかったが、しかしそれでもこいつが「前を見ろ」と言った瞬間に見えた景色を俺は忘れられずにいるからもう手遅れなのかもしれない。
口に突っ込んでいた歯ブラシを取っ払ってうがいをする。ちらりと鏡越しに見ると、やはりまだ福富は俺の方を見ていた。こいつなりに俺と交流を図ろうとしているのか、それともただ単なる好奇心か。(おそらく後者だろうと俺は思う。)
「福富よォ、」
俺がそう振り向きながら口にすると、福富は今度は俺の目を見た。朝早くから男二人で向き合って何してんだと内心では思ったが、口には出さなかった。
「お前、俺に何つった。」
「何をだ」
「人の三倍回せっつっただろ」
「ああ」
「だから俺、今から朝練行くんだけどォ?」
「ああ・・・なるほどな」
俺が今から髪の毛をセットする気が無いと気付いたらしい。福富は少しばかりがっかりしたような顔をした(ように見えた)が、すぐに俺にどのコースにするのかと尋ねた。峠があるところだと俺が答えると「わかった」と一言返事して福富はこちらから視線を逸らしてしまう。どうしてそれを聞いたのかの説明もない。案外感情で動く奴なんだなと俺がちょっと意外な気持ちでいると、ふと福富は振り向いて俺の方へ視線をやった。
「今日は俺も一緒に走る。」
「アア?何だよ珍しいことすんじゃねえか。」
そう俺が返すと、少しだけ福富は目を泳がせて、それからまた視線を戻し、こう言った。
「そうすれば、お前が髪の毛をセットしているところを見られるだろう」
バカじゃねえの、と思わず口にした俺に福富は何とも返さなかった。けれども一瞬こちらに待てよと向けられた視線にもう俺は動けなくなっていて、結局のところ俺はこいつに振り回されるんだろうと確信することになったのだった。
無意識なのだろう。
「やめろ。」
がり、がり、と断続的に音が続く。
「荒北。」
そう呼びかけても荒北は生返事で、福富の方を見さえしない。片方の手では雑誌をページを捲り、そうしてもう片手は口元へと運ばれている。ぎざぎざになった爪を揃えるようにひっきりなしに歯でそれを噛み切っている。そんなことをするよりやすりか何かを使った方がいいだろう、と福富が言ったって聞きやしない。
荒北のこの癖は彼が物心ついてからずっと持ってきたものなのだという。何気ないとき、たとえば片手が空いていて手持ちぶさたな時だとか、もしくは少しばかり口が寂しいとき、つまりはちょっとした暇があるときにそれはよく表れるらしい。
「爪でひっかいたりして痛いからやめようとは思うんだけどネェ。」
荒北はそう言って苦笑してみせるが、大抵その後しばらくすればその癖が始まってしまうから本当に「思うだけ」なのだろう。
「こら」
福富がそう言って彼の手を取ると、荒北ははっとした様子で福富の方を見た。いびつに尖った爪の先を見て福富が少しばかり眉を寄せる。荒北はちょっとだけ決まり悪そうな顔をするが、すぐに無意識だからサァと悪びれもしないような台詞を言ってみせた。
「仕方ない奴だな」
福富は呆れたようにそう言うが、しかしそれ以上荒北を責める気にならないのは、その癖が彼が本当にリラックスしているときにしか出ないものだと知っているからだ。
けれどその一方で福富は複雑な気持ちにもなるのだった。
(恋人が隣にいるんだから)
手が空いているなら俺の手を貸してやるのに。口が寂しいと言うならいくらでもその唇に噛みついてやるのに。
そう思えども福富が口に出来ないのは、それが彼にとっての癖なのだからだろう。
自分には恥じることなどないと思って生きてきた。
今までに後悔したことが無いと言えば嘘になる。しかしそれでも自分がその出来事によって何かを学んだのだと思えば糧になった。自分の強さはそうして絶対的なものになっていくのだと、揺るぐことのないものとなるのだと思っていたのだ。レースで勝つことも、またどんなシーンでも負けないことによって自分自身の強さは証明されるのだと俺は思っていたのだった。
それが揺らいだのはある一つの出来事があったからだ。
思い出したくない。けれども思い出さなければどうにもならない。レース中、それもインターハイという大舞台の上で俺は取り返しのつかないことをしてしまった。一人の男の選手生命をすら奪ったのだ。それがどれだけ重大なことかなんてわからないはずがない。これを過去のことだと割り切って進んでいいようなことでもないのである。後悔だって簡単に出来ない。
手を伸ばしたあの一瞬に瞼にこびり付いた光がまだ残っている。拭いきれない。思い出すたび、瞼を閉じるたびにあの光景が浮かんでは喉を締め付けられるような思いに駆られる。
「失格だ。」
選手として、やってはいけないことをしてしまった。誰かの将来を奪うという、人間としてしてはいけないことをしてしまったのだ。許しを請うこともきっと許されない。ただただ苦しいばかりでどうしたらいいかわからない。
俺はベッドに腰掛けたままそう言って、深い溜息を吐いて俯いた。
そんな俺をじっと荒北は見つめている。彼がこの部屋に来て口にしたのは「言って楽になれよ」という一言ばかりだった。それ以来荒北は黙り込んでいる。どちらかというと俺の様子を慎重に探っているといった方が近いのかもしれない。
俺もすっかり口を閉ざしたことによって、部屋の中には重苦しい沈黙だけがあった。じわりと痛みが目の奥に広がる。言ったところで苦しいばかりだ。荒北は俺に何を求めているのだろう。俺はもうお前の前で走ることすらーー
「福ちゃん。」
荒北がそこでふと口を開いた。俺は顔を上げる。荒北はローテーブルに肘をついたままこちらを見ていた。笑みもない、かといって俺を哀れんでいる様子も怒っている様子もない。そこに浮かんでいるものが俺には読みとれなかった。
福ちゃん、と荒北はもう一度呼んで。それから俺の目を覗きこんだ。
「お前は強いよ。」
荒北の目には俺の顔が映り込んでいる。青ざめた、ひどく焦ったような表情だ。それを見てなお荒北はそう言うのだ。
「・・・俺は強くない。」
「お前は強い。」
「何でそんなこと、」
「だってお前の前には俺がいるんだぜ。」
何も考えなくていい。苦しいなら目を背けてしまえ。俺がお前の前でひいてやるから。荒北は言った。
「前を見ろ」
そしたらお前が人間やめたって俺はお前をどこまでもひいていってやるよ。
その台詞はひどく聞き覚えのあるものだったが、まるで聞いたことのないもののように俺には思えた。
今度は何も言えなくなって俺は口を噤む。喉に何かつっかえたような顔をしている俺を見て、荒北は少しだけ口の端を持ち上げた。
